中日新聞に伊藤みどりのインタビュー記事がでました。
◆孤立する働き手を救え はたらく女性の全国センター共同代表・伊藤みどりさん
一九七〇年代の中ごろから労働組合の変質は始まりました。女性の切実な要求を受け止めず、男性の組合幹部が会社側と中途半端な妥協をしたり、組合員から新自由主義的価値観を追認する意見が出たり。どんどん御用組合になっていきました。
八〇年代に入ると、日本企業はアジア各地に次々と工場を建てました。それは、私が最初に就職した会社にもあったベルトコンベヤーなどによる単純作業の工場。チャプリンの「モダン・タイムス」の世界です。日本では多くの労働者が職業病に悩みました。海外の労働者が同じ目に遭おうとしているのに、組合は全く抵抗しなかった。労働問題活動家の塩沢美代子さんは当時、こう宣告しました。「日本の労働運動は死んだ」と。
男性の正規労働者の働き方をモデルとする既成組合の限界でした。私は仲間と一緒に九五年、働く女性が個人で加入できる「女性ユニオン東京」をつくりました。その後、有期契約の人が増えた結果、相談はあるけれど組合加入は増えないようになっていきます。孤立した女性たちの相談に応じようと二〇〇七年、市民団体「はたらく女性の全国センター」を発足させました。組合という組織形態がもう限界だと思ったのです。
非正規で孤立する労働者は増えています。中には不満をためている人もいるでしょう。昔はそれが爆発すると職場での打ち壊しが起きました。いわゆるバイトテロは現代版の打ち壊しかもしれません。
私たちのセンターでは今、精神障害者からの相談が増えています。対応が進んだ身体障害者と違い、雇うだけ雇って、後は配慮もせず切り捨てというケースが目立っています。
女性、パートタイマー、非正規、障害者-。男性正社員モデルは「想定外」の働き方を次々と生みました。産業革命以後のモデルが行き詰まっているのだと思います。社会主義のモデルも同じです。ならば、一人の想定外もつくらない働き方は不可能でしょうか。会社にすべてをささげることをやめ、自分を支え、人を支え、命を支える。
そういう働き方を実現するために、組合がやれることはたくさんあります。労働三権に基づく交渉は今も裁判以上に使えることが多いのです。議論し合えば合意はできる。それこそが本当の組合の闘いです。
(聞き手・大森雅弥)