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2017定期大会セッションレポート「命を削られないで生きる」飯島裕子×栗田隆子

トークセッション「命を削られないで生きる」

飯島裕子(いいじま・ゆうこ) × 栗田隆子(くりた・りゅうこ)

2017年2月18日 ACW2第11回定期大会 @東京オリンピックセンター

栗田:代表あいさつ

今回の大会には五十人以上も参加の申込みがありました。寒い中、皆さん来てくださって本当にありがとうございます。

それこそ昨年から、働き方改革ですとか、一昨年には女性活躍推進法ですとか、私達の試みが色々問われるような法律ができました。今年のこの集まりは「命を削られないで生きる」です。命を削られない働き方を考えることをテーマとしました。そのことを改めて考えさせられると同時に、改めて私が報告したいと思ったこととしましては、今年は訃報が相次いだということがありました。

パート女性の労働をやってきた坂(ばん)喜代子さん、病を抱えながらACW2の大会にも参加してくださった望月すみ子さんがお亡くなりになられました。彼女たちの闘いの歴史をどう伝えていくのかは今後さらに課題になるかと思います。

去年の8月にUCLAという所に行ってきたのですが、労働の集まりの中で、詩を朗読する文化があるんです。いろんな会の集まりとかで詩を朗読するんですね。だけど、今日私は自分の詩を朗読できるほどの度量はないので、アドリエンヌ・リッチという女性詩人の言葉を最後に引用して会を始めたいと思います。

「一人の女性が真実を語るとき、彼女の周りでより多くの真実が語られる可能性がある」。

私達が語ることで、色んな人が自分の言葉で語る機会になればと思います。それで、信頼関係を築けるような場がここでまた作られればいいなあと思っています。

 

司会:

ありがとうございました。ちょうどACW2ができてから十年で、第11回大会です。本日は、岩波新書『ルポ貧困女子』の著者の飯島裕子さんにお越しいただきました。飯島さんはノンフィクションライターで、「ビッグイシュー」などでインタビューを書かれたり、それから、「ルポ若者ホームレス」「99人の小さな転機の作り方」,そして今回の「ルポ貧困女子」を書いていらっしゃいます。
栗田隆子ACW2代表は、『フリーターズフリー』の編集に関わってきて、2014年には共著で『高学歴女子の貧困』も出しています。では、お二人でよろしくお願いします。

 

  • 家族の中の生きづらさと、女性活躍推進による分断と

 

飯 島:本の取材で50人近くの女性の話を聴いて思ったのは、家族の中でも非常に生きづらい、仕事も大変、プラスして今の女性活躍推進の動きがかつて以上に女性を分断しているということでした。活躍をすごく期待されている女性と、されてない女性。特に非正規シングルの女性達の抱える問題では、貧困や様々な困難がありますが、女性活躍推進の流れの中でより追い詰められていると感じています。
さらに「妊活」や自治体による「婚活」のような動きが活発化する中で、未婚、子どもも産んでいない、仕事も非正規、となると誰が言うわけでもないけど、生きづらさが迫ってきて、十年前より状況が厳しくなっていると思います。

栗 田:私たちACW2はかつて2009年の大会で、「働くのが怖い」「働けない」と声を出し、その発言を巡って非常に物議がかもされました。もう、そのような声も出しにくくなっているのでしょうか。

飯 島:働くのが怖いとか、仕事もうまくいかないという状況には社会構造があると思いますが…女性のスタンダードが「活躍」のほうに行っている中で、子どもを何人も育てながら頑張って働いてる女性たちがいるのに、それでも働けない? 働きたくないの?みたいな。声の上げづらさがあると思います。

栗 田:非正規の女性とか、ましてや働くのにトラウマを感じている女性に対してはもう、その悩みを制度として解決するという発想すらないのでしょうか。

飯 島:制度どころか、まったく視界にも入ってきていないと思います。ACW2につながっている方たちは生きづらいのは自分だけじゃない、自分のせいじゃないという発想に行くかもしれない。けれど、非正規で働く女性たちの多くは、普通に働いて子どもも生んで、みたいに思い描いていたかもしれないことを何一つ達成できていない状況を、自分の努力が足りなかった、自己責任だと考えて、内向きになってしまう。そこで、「政府は私たちに目を向けてないじゃないか」という見方はしない。孤立して…声すら上げられないのでは、と思います。

栗 田:飯島さんの『ルポ貧困女子』の本の中で、「可視化というのは構造的な問題に踏み込み、対策や支援につながる動きが現れることだ」とあります。女性の貧困って一笑され、消費されることはあっても、構造に踏み込んだ視点をメディアが打ち出したり、対策や支援につながる動きは少なかった。私も一所懸命声を上げようとしてきたけれども、10年変わらない。女性間で争いたくはないのに、国家とか活躍推進法のような法で、まさに活躍していい女性とそもそも対象になってない女性みたいな分け方を、人の意識になんとなく埋め込んでいく。

それがすごく嫌だなー。戦わされるようなイメージがあると思うんです。

 

  • 「女と家」と貧困は別の問題か

 

飯 島:本の中で、結婚や出産など、一見、貧困とは関係ないと思われる話を書いたのは、「女と家」の問題が重要だと思ったことと、昨今進められている“家族政策”があまりにひどいからというのもあります。たとえば少子化対策は既婚カップル向けの政策だったものが、婚活から支援すべきだってことで、今ものすごい税金が使われている。35歳までに産まないと卵子が老化するなどと言って、子どもたちの保健体育の副読本が出てきていたり。
その動きが今また憲法24条の改正であるとか、親子断絶防止法とか、核家族教育支援法とか。三世代同居をすると税が控除されます、とかも始まって。「シングル女性」を見ていくと、やっぱり問題は女性活躍推進だけじゃない、「家族」というところにつながります。「シングルはすごいリスクだよ」「税金もたいして払ってなくて、かつ子どもも産んでないのに将来は社会保障に乗っかって行くの?」みたいな、そういう眼差しが結構ある。それがシングル女性の生きづらさに拍車をかけていると感じます。

栗 田:私は実家を出るのに、アパートの礼金をはじめとした引越しの代金が払えないから結局親からもらって、しかも連帯保証人になってもらって出たんです。最初からもう、自立って言葉は私の人生には縁遠いっていうのをしみじみ感じたんです。
男性世帯主モデルというのが、女性の貧困の理由の根本にある。男性がお金を稼いで、女性は補助的に家計を支える。そのモデルが崩壊した、っていうことなんですけど、崩壊しても新しいモデルがないですよね。ただ崩れただけ。そうなると、たとえば家にいるってことが女性の貧困を覆い隠すような側面もある。生活保護を取りたいと思った時、親が許してくれないって人が周りにもいる。親自身も娘が生活保護もらうくらいならお金をださなきゃとなる。女が貧乏であることを訴えるには、どこから手をつけたらいいのか。

飯 島:今の日本の中では世帯主となって独立しない限り、生活保護を受けられないですからね。貧困率も世帯でみるので、貧困の統計にも載ってこないわけです。女性は失業したり、病気で働けなくなったりしたら、とりあえず実家に戻ったほうがいいと当たり前のように言われます。
本を書く中で、実家暮らしの人をどう扱うのか、結構悩みました。実家暮らしでも、親子関係が悪くて、父親から暴力を振るわれているという人も少なくない。でも、派遣だったりすると家を出られないわけです。自由になるお金がなくて、電車賃すら払えない人もいる。貧困と言って差し障りない状況だと思うけれど、それでも家があるだけ恵まれていると言われてしまうことがある。実家にいることで、その人達の困難とか貧困が完全に見えなくなってしまう。
そういう意味では専業主婦も「貧困」だと思うのです。夫との関係が切れてしまえばシングルやシングルマザーになってしまう。シングルマザーの貧困率が非常に高いことから見ても、やっぱり「女と家」っていう問題は切っても切れないんだなって。

栗 田:独身女性をフォローする法律は売春防止法だけで、フォローする法律はほかにないってことに私は衝撃を受けました。
ACW2で私も地味にやってきたんですけれども、この飯島さんの本では「働く女性の全国センター」のことを注目してくれている。それはなぜですか。

  • ACW2にはなにかがある?

 

飯島:はい。本を書いていく中で、女性たちの置かれた大変な状況を知りました。でもそれを書くことに加えて、なんらかの、解決策のようなものも示さなくてはと考えていたんです。でもまったく見つからなくて、そんな時、伊藤みどりさんのところに取材に伺ったんです。そこで本当に色んなお話…ホットラインのこととか、週三日労働の話とか、ヒントになることをうかがえて、それを本のいろいろなところに散りばめさせてもらった、私のほうこそacw2には感謝しています。
なぜACW2に答えがあったかというと……私の会った若年女性たちは、一度は働いた経験があるという人が多いんです。でもほとんどの人が仕事をする中で、すごい傷つき体験をしていた。うつになったりパニック発作になったり、働くことによって深刻な病気とか精神的なものを抱えてしまっている人もいて、いわゆるブラック企業に勤めて折れてしまった人も非常に多かったですね。働きたくても働けない、あるいは、自信を失っている状況の中で、果たして正規に戻ることだけが正解なのか、という疑問があったわけなんです。
でも、一般的には、非正規だから正規にならなきゃいけない――みたいな発想って当然ある。そんな中でACW2は、正規になることが答えではないと言っているように思えて、私が取材したいわゆる“体育会系女子”でない人たちへのヒントがあると思いました。
働くところ以外のメンタルの部分、「サポートハウスじょむ」とのいろんな関わりとか、「かもすワーク」とか、女性どうしのつながりとか、そういったものを大切にしているところにも深く共感しています。

 

  • 「週三日労働で生きさせろ」をめぐって

 

栗田:ACW2自身も…たとえば、運営委員のメンバーが変わってきていて、それは単に世代というだけではなくて。私より上の世代ではやっぱり正社員の活動が目立っていた。ACW2もその流れだったと思うんです。だけど、状況が変わって、非正社員であるとか、もっと言えば(賃労働では)働いてないメンバーの動きが今はある。ACW2の長期ビジョンの中の「はたらく」というテーマがもうそもそも賃労働だけでなくってことを言っている、正社員だけを賃労働だけを仕事とみなすっていう枠を外した、そこは確かに変わったところです。
その中で週三日労働って話も出てきたんですね、私達の中で。「週三日労働で生きさせろ」っていうと、非常に賛否両論がある。賛否は最新号の「かもす通信」(34号)にも載っているんですけれども。そもそもシフトに週三日以上入りたい、週五日くらい入りたいのに週三日で仕事させられてるとか。でも私たちの中では、実際週三日っていう仕事が増えている。そういう場合ダブルワークとかトリプルワークで生計を賄うっていう時代になっていったんですけれども。ともかく週三日っていう仕事が増えている。それが現実なんだから、じゃあ週三日労働で生きられるような、労働状況ないしは社会保障を考えるべきなんじゃないのかっていうことなんです。飯島さんとしてはこの「週三日労働」っていうのは最初聞いたときにどう思われましたか?

飯島:最初は「ええっ、そんなのできるの?」と思ったんですけど。ただ、さっきの働くことにトラウマを抱えている、あるいは今はちょっとすぐにフルタイムの仕事をするのはハードルが高いよねっていう人にとっては、「週三日でもいいんだよ」みたいに言ってくれるのはホッとできる感じがある。 私もフリーランスなので、仕事が少ない時などは週三日労働ってことがあります。そうすると不安になって、ダメだなって自己嫌悪に陥るわけですよ。でも、それも肯定してくれるというか。週三日しか働けないって思うんじゃなくって、週三日でもとりあえずいいよって言ってくれてる。
そもそも非正規って言葉はそもそも正規ならざるものって言われてるみたいで、それ自体がハラスメントな気がするんです。正規で、週5日労働が当たり前、そうじゃないとダメなんだと刷り込まれて来たところがあるので、週三日労働と言ってもらうことで安心感を得る人もいるのではないかと思います。
一方で、細かい条件を考えて、やっぱり無理でしょうっていう批判もあると思う。そもそも女性たちの中には、週に五日フルタイムで働いても生活できないっていう状況の人たちがいっぱいいるわけですよね。たとえば、『ルポ貧困女子』にも17歳の女性の話が出てくるんですけれども、彼女は家が経済的に大変な状況にあったので、高校を中退して働き始めたんです。でも長時間シフトに入れないので、複数のバイトをかけもちしなければならない。早朝からコンビニで働いて、昼にとんかつ屋さんのランチをやって、夜に居酒屋で働くみたいな。自転車で職場をはしごして懸命に働いているのに、自立するに足る賃金は得られない。さらに何カ所もで働いてるから、どこからも社会保険が受けられないんです。
そういう意味では、「週三日労働で生きさせろ」っていうのは誤解を生む表現だと感じるところもありますね。「週五日労働でも生きさせてもらえないのに、週三日になったら飢えちゃうでしょ」。そういうのはちょっとあるかな。

 

  • 「働き方改革」と私たちと似て非なる・・・

 

栗田:更に事態をややこしくさせているのは、最近「働き方改革」といった具合に政府が似たようなことを言い出してるところですよね。また企業が、例えばヤフーがこの前、週四日勤務・週三日休みって言いだしたり。電通の事件もあったから、長時間労働をなくそうっていう動きもある。それ自体はすごくいいと私は思うんだけれど、なぜかそこから違うものに巧妙に持っていかれそうな気がする。私たちの言ってる週三日と、それこそ安倍首相ないしは企業の言う週三日とはどう違うのかということを説明しなきゃいけなくなってきています。特に、飯島さんとこの前ちょっと打ち合わせで話した時に、ホワイトカラーとかブルーカラーとか、それこそ女性労働=ピンクカラーなんて言いますけど、超エリートな人をゴールドカラーって言うらしくて。金色の襟ですか? もしかしたら優秀なゴールドカラーの特殊な人達は週三日休みになって、そうじゃない人は週五日働く? ないしはトリプルワークで働く、と言ったそういう二極化が進むのか?みたいな話になっていったとしたら、私としてはとても困るしおかしいと思う。その辺の、働き方改革の巧妙さみたいなのはどう考えられますか。

飯島:今回「週三日労働」の話をするのかと思ったので、ちょっと調べてみたんですね。そうしたら、この一年くらいでACW2が先駆けた? っていうくらい、週三日労働がどんどん出てきていて、それこそヤフーとかユニクロも週休三日制といってみたり。文科省から天下りをした人が、週三日どころか、月に二日働いて年収一千万円って報道されてまして、まあ極端な話ですけれども、でもこういう働き方が今後さらに広がっていくだろうと私は思っています。
それから最近、副業にも注目が集まってますね。副業禁止規程を廃止する企業が増えて来ていて、『週刊東洋経済』(2016年10月28日付)でも副業特集があって、優秀なサラリーマンは会社に三日出て、残り二日は自分で起業して儲けるとか……。本業以外の仕事を持つ、パラレルキャリアを得ることで、自分らしい働き方、生き方ができるし、会社が潰れたらリスクヘッジができるみたいな。
政府が「働き方改革」として挙げている9項目は、どれもすばらしく聞こえはいいんですよね。同一労働同一賃金による非正規の処遇改善とか、賃金引き上げと労働生産性の向上、長時間労働の是正とか。その中の一つにテレワーク・副業推進などの柔軟な働き方というのもあります。これは逆に言うと、柔軟な働き方を選べるような人たち…まあ、ゴールドカラーというのかどうか、超エリートの高いスキルがある人ならばいいのかもしれません。「これからの時代は個人が会社を選ぶ時代だ」と言ってね。空いた時間で、自分でスキルをつけて企業と対等に渡り合える人材になるべきだ、そういう方向になってきている。これがさらに進んでいった場合、一部の時短で働ける優秀な層と、長時間労働に従事しなければ生きられない層に分かれていくんじゃないか、そんなふうに思うんです。
「働き方改革」は、いろいろな問題を孕んでいると思うけれども、それが明確に見えない、女性活躍推進法の時もそうだったと思うんですけど、一見すごく聞こえのいい文言が並んでいるので、どこを衝いていいのかよくわからない、巧妙さがあるのかなと思うんです。

  • 「時短」と「ハイレベル会合」

 

栗田:女性活躍推進法の冒頭の序文ですね。「能力と個性を活かした」っていう一文があって、時短とかそういう話も、彼らにおいては能力と個性を活かすやり方を推進するための時短であったり…なんていうのは、週三日労働、週三日休みというときに、すごく押さえておかなければいけないポイントかなと思っています。

というのもこの前、EU駐日大使館主催の「ハイレベル会合」…ハイレベルって自分たちで言ってるんですよ。そこからなぜかお誘いメールをいただいたので行ってみたんです。赤坂のすごい高級なホテルで、行くとお茶、コーヒーがただで飲める。まずビックリだったのはものすごく企業の人達は、切迫してるんです。少子高齢化というものに。労働力がなくなるっていうことを非常に危惧している。はっきり言っちゃえば労働力を補うための女性活躍推進。そこに彼らが一ミリも疑問を抱くことはない。で、活躍推進も、女性の人権のためではなく経済推進のための法律だなんていうのは悪いとも思ってないんです。むしろバージョンアップだくらいに思ってて、女性活躍推進は経済的なエンパワメントであることがなんの悪いことがあるの?ぐらいのノリで。

その中で時短ってどういうことかっていうと、×ルビーの社長がそこに出てきて、要するに会社でダラダラ仕事なんかしてないで、さっさと帰って体でも鍛えるか、家で教養でも磨くかしたらいいと。ダラダラ残業の後には焼き鳥かなんか食べて、ビール飲んで、体にいいことなんか何一つないんだから、さっさと帰って体にいいことしようって言うんですね。×ルビーがそんなに体にいい食べ物作ってたっけ?っていう疑問がありますけど。ちなみにその集まりに行った後には焼き鳥とビールを飲んで帰ったんですけれども。
要するに、彼らの時短っていうのは、労働時間以外でも教養を身に着けたり、ビールなんか飲まないで体を鍛えたり、もう水面下で会社に奉仕するっていうことが地続きにある。で、それとACW2が違うんだっていうことがどれだけ明確に言えるかが勝負かなと。ちなみに「ハイレベル会合」では、本当に私などの存在の場違い感が半端なかったんですけど。

逆に、さっき「週三日」に安堵感を覚えるっていう話ですけど、そこも少し触れたいなと思います。つまり、競争的な意味で週三日になるのと、競争的なものからはずれた意味で週三日になることっていうことを考えた時に、やっぱり私は病とか、そういうことを考えます。この本にも出てくるパニック障害であったり、病を抱えるといったことにどう向き合うかということが大事な話になってくるかなと思っています。そういう人たちを見えなくして、スイッチひとつで消しちゃうようなことが一番いけないのかなあと思うんです。
飯島さんからもうちょっと聞いてみたいなと思うのは巧妙な話。アベノミクスのその巧妙っぷりみたいなのを…。

 

  • フリーランスライターは副業しやすいか??

 

飯島:そうですね。私は自分がフリーランスで十年くらいやってるんですけど。やっぱりフリーランス化推進みたいな話が働き方改革の中に入ってるのは、すごく引っかかります。今、クラウドソーシング、インターネット上で業務を請け負うっていうパターンで、たとえばライターとかの仕事は副業しやすい職種リストに載っていて、めちゃくちゃ価格破壊になって脅かされてるわけですよ。
インターネットのまとめサイトというのもすごい勢いで増えていて、クラウドソーシングで、ライターの人がまとめているんですけど。でも一文字0.1円とか普通にあって、一万字書いても千円。それだけしかもらえないから、一から書いてられないとパクってきちゃって、明るみに出たっていう事件がありましたよね。

このあいだの「クローズアップ現代」(2017年2月1日)でも、あるクラウドソーシングの会社で月20万円稼げる人は8,000人に1人だそうです。それでもたとえば子育て中の女性が、とりあえず働きやすいからって始めて大変な思いをするケースが少なくない。私の本の中でも、講座に通えば仕事がもらえると言われて、結構な金額つぎ込んだけれど、ほとんど仕事がもらえなかったっていう人がいたんです。
だから、働き方改革で、「時短で」とか「自由に働けます。皆さんが働き方を選べます。皆さんが企業を選べますよ」とかって、それは本当にまやかしであって、結局生きられない、食べられないっていう状況になり得る、本当に恐ろしいことですよね。

 

  • 「みんな非正規にしましょっか」?!

 

栗田:それこそ女性活躍推進法なんて出てきたことと、遡って三十年前、男女雇用機会均等法ができ、派遣法ができ、第三号被保険者制度ができ、という中で、その時代に行われたことは、総評などの大きい労組の解体と、労基法の一部規制緩和というか、フレックス制度導入だったわけですね…一部の人しか問題にもしてなかったわけですが。だから私がふっと、今のお話も聞いて思うのは、さっきの「非正規」っていう言葉がハラスメントだっていうのは私もまったく同感するんですけど、しかし…「正規ってもうなくしちゃって、皆不安定にしときましょっか」って言いかねないのがまた今の状況かなって。労基法とかも、「いや、ほらもう労基法なんてその…正社員の人しか当てはまらなくって、非正規にはそもそも労働組合とかも入れない、困ってるとか言うんだったら、まあもう皆非正規にしましょっか」って、すらっと言い出しかねないことがとても怖いところです。私自身が週三日にこだわりたいのは、週3日ぐらいの仕事が増えてる現実と、もう一つは、やっぱり、実際の仕事が減ってきている。機械とか人工知能とかの導入で減ることが可能になっている。その中で、本当にワークシェアリングをするとしたら、週三日くらいの労働になってくるっていう、そこの現実を考えなきゃいけないんじゃないのかっていうのが一つ。本当にそれは理想主義で週三日にしたいっていう話ではなくって、そういう現実があるからこそ、じゃあ週三日労働、週三日しか働かないで生きるっていうことが可能になるにはどうしたらいいのかって考えないと、むしろ政府の方に簡単に追い越されちゃうのかなって。

でも面白いのは、奇しくもACW2と政府がおんなじようなことを偶然にも言っちゃってるっていうのが…いや、嫌なことなんだけれども、面白いところでもあって。私たちがいかに違うことをやっていけるかは、そういう現実をどこまでちゃんと見ていくかっていうことにあるのかな。

実際、それは理想主義だって言う人のこともわかるけれども、「そんなこと考えてられないよ」「シフト入れないのに」っていう、そういう意見との分断に答えは持ってはいないんだけれど。でも週三日労働がそんなにも理想主義かっていうと、なんとなく違うような気がするんです。

 

  • 「仕事=苦役」は常識か、刷り込みか

 

栗田:仕事ってなんだろうかっていう素朴な疑問がありますよね。仕事は苦役なのかなあとか。働かないことがたとえば、正常でないっていう刷り込みが私たちにあるとして、つらくない仕事は大した仕事じゃないっていう刷り込みが、もしかしたらあるのかもしれない。本当の仕事とか責任ある仕事はつらい仕事で、つらくなければ正常じゃないとか。週三日労働とかの話にどうつながるかって言うと、私なりのつなげ方なのだけれども、「こんだけ働いたからこそ正規なんだ、正しい働き方なんだ」みたいな、そういう刷り込まれ方を私たちはもしかしたら…私個人も含めて、とらわれてるところはあるんじゃないだろうか。
ただ、一足飛びに話をするよりも、こういう場をせっかく作ったので、今日明日と(大会で)二日間じっくり話し合えれば一番いいかなあと思っています。何か最後に…。

飯島:はい。実は「仕事とはなんだろうか」ってことは、私もここのところずっと考えていたことなんです。仕事=苦役じゃないけれど、たぶん週三日労働に対しては、どこかで、本当にいいの? みたいなものがあるんですね。仕事ってつらいほうが偉いとか。すごく頑張らないといけないみたいな刷り込みってやっぱりどこかにあるのかなって。なんでそう思ったかと言えば、私自身、勤めたあとフリーになったんですけど、その時に、「私は時間的な拘束が人より短かったり、楽しさややりがいを感じることも多い。楽しいことを仕事にできているんだから、多少賃金が安くても、仕事が不安定でも、それは仕方ないんだ」って、どこかで思い込もうとしていたんです。でもふと、「待てよ」と。私が「私の仕事はそこまで大変じゃないから、安くても不安定でも仕方ないんだ」と思うことがまさに「過剰な働き方や苦役のような仕事こそ本当の仕事だ」と思う価値観を追認している。私がそれを認めてしまっていることと同じなんじゃないかとふと気づいたんですね。
そのきっかけになったのが、図書館司書の人への取材でした。司書の仕事は、まさに官製ワーキングプアの典型のようだと言われていますけれど、高い能力が求められるのに、多くの人が非正規なんです。彼女はすごく司書の仕事をやりたくてやっていると。非正規だ、一人暮らしできないほどの低賃金とわかっていたけれども、「私は好きでこの仕事をやっているからそこは仕方のないことだと思っている」って彼女が言うのを聞いて、でも司書=非正規の仕事って誰が決めたんだろうと思ったし、その賃金って果たして誰が決めているのか。そこでスコーンと、何かが違うなって思ったんですね。仕事というものに対しての価値観を、私自身もどこかですごく固定的に考えていたなって。

だから「週三日労働で生きさせろ」という主張も、これまでずっと囚われてきた、でも実は刷り込みかもしれない労働に対しての常識を、覆される経験みたいなところがあるし、これからの生き方、働き方を考える上で、大いなるヒントを与えてくれるのではないかと思っています。

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